看護師と医療業界のこれから

vol3_005今回の特集では、真野俊樹様(多摩大学医療リスクマネジメントセンター教授)と、出口治明様(ライフネット生命保険株式会社 代表取締役社長)をお招きし、医療崩壊を招きかねない、現在の深刻な看護師不足の問題にちなみ、【看護師と医療業界のこれから】について対談していただきました。

三澤:

まず初めに、現在、看護師不足が問題となる一方、潜在看護師が55万人いると言われていますが、この点についてお話いただけますでしょうか。

真野:

看護師の業務は、ナイチンゲール精神で行われていて、人権にも関わる重要な仕事です。それゆえに労働者的な発想が少なく、労働環境が非常に厳しいのが事実です。勤務にもいろいろありますが、夜勤が大きな負担であり、今までのような精神主義だと辞めてゆく。一方、人員不足解消に重要な潜在看護師ですが、なかなか現役復帰できません。

復帰しづらい理由としては、
1.労働条件の厳しさ
2.医学の進歩についていけない(自分の技術に不安であること)
があります。

出口治明:

vol3_002総論としては先生のおっしゃる点に尽きていると思います。 私の前職での経験(多摩病院のPFIや日本看護師協会への営業を担当)から言いますと、ペイが少ないという事に尽きますね。尊い仕事なら、それに応じた給与の支払いが大前提だと思います。加えて、看護師を支える社会的な仕組みがない。一度辞めた看護師が仕事に戻ろうとしたとき、1つには小さな子供がいるケースが多いので、それを前提に復帰しやすいシステムを、社会全体で考えていかねばならないと思います。
例えば駅の託児所ですが、品川駅のような大きな駅なら、100人から200人を夜遅くまで預かる保育園があってもちっともおかしくない。そういうことがどうしてできないのか。
2つめには、例えば北欧では就業支援の予算の多くを、産業教育やトレーニングにあてています。失業した際に単に手当てを払うのではなく、新しい産業にシフトできるよう勉強させるわけです。新しい医療技術をこうした仕組みの中で習得できるようにすればいいのではないでしょうか。

真野:

お金の話については興味深いものがありまして、ワークライフバランスについて労働時間を短くするだけでなく、やりがいなども考えないといけません。

出口:

確かにやりがいは大切ですが、「衣食足りて礼節を知る」、という言葉がありますよね。十分な報酬があるという前提があって、その上ではじめてやりがいを考えるべきではないかと思います。
企業は最近、長期的な視点よりも、四半期等の短い視点で収益を上げることを重視しています。目先の利益を考えると、人件費を削る、つまり社員に支払う給与を減らすことは効果的です。
ですが、長期的、大局的に見ると、個人の給与が減るということは、国全体でみれば市民の購買力が減るということですから、内需が6割を占める日本にとって、決して良いことではありません。
社員に支払う給与と、企業収益の合計額が増えるような経営をすべきだという意見がありますが傾聴に値すると思います。私は、ワークライフバランスが確立できるような給与が支払われることがまず基本だと思います。

真野俊樹:

vol3_003確かに現在、短期的なペイが軽視されている感じがします。どのような仕事でも、2~3年頑張れば、それなりに報われると信じられる、つまり、先に光が見える事が大事だと思います。今、問題なのは、その光が見えないと言う事です。CS(患者満足)のみならずES(職員満足)も重視し成功している川越胃腸病院さんは、理念が立ったすばらしい例だと思います。ですが、全てにあてはまる訳では無いと思います。
例えば、私立の場合、理念を立てての経営がやりやすいですが、何よりも地域の医療を行う事が大前提の公立病院では、理念を立てにくい所があります。その上に患者からの不満、訴訟の問題などがある。その仕事にどのような社会的な意義があるか分かり、仕事を続ける先に、光が見えるなら、人は働けると思います。

三澤:

今、「官と民」の立ち位置の違いについてお話がありました。この点についてはいかがでしょうか。

出口:

基本的には官は、官でしかできない仕事をするべきでしょう。「公共財」の供給の部分ですね。それ以外は原則的には民がすると。 医療は社会のインフラを支える産業で少し特殊な面があります。本来的には民間の受け持つ部分ですが、戦後の復興過程のなかで、官が特に地方では医療インフラを整備してきたという経緯があります。先進国では、民に任せる、民のインセンティブにまかせるというのが本道です。
日本も今や、そうすべき段階に来ていると思います。地方ではまだ公のウェイトが大きいですが。今、「地域起こし」ということが議論されています。でも、良く考えてみると、医療、飲食、自然エネルギー等ぐらいしか考えつかない。特に介護を含めた医療は、21世紀の数少ない大きな成長分野ではないでしょうか。
過去からの発想ではなく、民からの視点で少し見方を変えれば、地域医療は大きな発展産業になる可能性を秘めていると思います。今、タイなどに医療村を作ってそこに日本の患者を送る話がありますが、それを日本の地方で行うというのはどうでしょう。 海外よりもやはり日本国内の方が患者も安心でしょうし、その地方の地域起こしにもつながる。このように視点を変えれば医療や介護は大きな可能性があります。

真野:

日本では医療へのファイナンスの都合は、国の保険でつけています。サービスに対する公共投資という意味でも基本的に良い事だと思います。ファイナンスは公共だけれども、サービスの提供は民でいうのが良いのではないでしょうか。

出口:

vol3_004アメリカでは高級老人ホームを、大学構内に設置したという話があります。大学には大学病院があり、図書館もあります。老人は医療だけでなく、教育を受ける事も可能です。発想を変えた例です。
日本でも、どの地方にも大学があり、その付属病院があります。少子化で学生が減る中、大学内に後期高齢者用にホームを作る事で、経済力のある高齢者が入学すれば大学も助かります。学生と高齢者が交流する事で、双方に良い刺激にもなるでしょう。

真野:

今の医療や介護のひとつの問題点は、高齢者を名前ではなく「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼んでしまうような人格を軽視した所だと思いますが、この例のように老人個人の人格を尊重する観点も必要でしょう。

出口:

もう一つは日本の高齢者が、1500兆円という世界でも類を見ない巨額の貯蓄の大半を持っているという事実ですね。それを狙って外貨預金等金融商品の売り込みや円天等の詐欺事件まで起こっているわけですが、「若い人と話せるから、たとえだまされても良い」という高齢者もいるといいます。
無農薬の野菜なども、高くても売れていますよね。同じことで、経済力のある高齢者には少し高くても、人格を重視した良質な介護や医療のニーズは十分あると思います。

真野:

多摩大学でも、退職直前にMBAを取りにこられた方もいます。若い人と高齢者が交わる事は良い事ですね。

出口:

介護に関してですが、高級老人ホームなど最初に費用全額を納めてしまう払い方は問題だと思います。
最初に払ってしまえば、極端な話、早く亡くなった方が利益が出るという事になる。お金の払い方を変えるべきです。長生きしてもらってはじめて利益が出るような、長生きしてもらいたくなるような形にするべきです。最初に払ってしまうと、質の高い長期介護業務へのインセンティブがなくなってしまいます。精神論は有害です。ある意味では、ナイチンゲール精神を忘れていく事も必要だと思います。

真野:

vol3_005ナイチンゲールには実は経営のセンスもあったそうですが、確かに精神論中心になるのは問題です。看護師の組織も上意下達のいわば軍隊的なものがある場合があり、まずはそこから変えていけば良いのではないでしょうか。
医療や介護のサービス業は、提供する側の気持ちの部分が大事です。それには提供する側のワークライフバランスが満たされている事が必要です。知り合いの看護師の方に聞きますと、「疲れていると患者さんに笑顔ができないのが辛い」とおっしゃります。そのような感じで良いサービスが提供できなければ、お客様は逃げてしまう。ES無くしてCS無し。
例えば、自分自身が大変な自己破産寸前の人が、他人に良いサービスが提供できるでしょうか。ESをどうしていくのかは課題です。

出口:

医療・介護業界は、短期的には光の見えない状況ですが、もう少し長期的に見ると明らかに成長産業です。
幸か不幸か、お金を持っているお客さまが沢山いる、ものすごいチャンスのある数少ない産業です。

真野:

目先の診療報酬の少ない事が光を遮っていますが、その先に光がある。医療関係者が自分たちの内側だけを見て、外が見えないのがひとつの問題ですね。

出口:

GDP比8.2~8.3%の医療費でやっている日本の医療保険制度は大変良くできていると思います。ですが、それゆえに他の世界が見えない。日本の医療はチャレンジングな面白い分野です。
経済力のある高齢者は多いのですから、良い医療や介護をすれば必ず受け入れられるはずです。健康保険の枠の中でも、自由な発想での経営が必要です。

真野:

すぐには実行できなくても、夢として持っている事が大事ですね。

三澤:

そうですね。先日私が講演させていただいた、東京都看護管理者連絡会議の『第Ⅰ医療圏看護管理者ネットワークの会』に参加頂いた看護部長の皆様からのご質問も、大枠としては、目先の問題に関するものが中心でしたが、川越胃腸病院さんでは20年かけて、給与他、待遇面を大事にして成功をおさめています。

出口:

どんなビジネスでもそうですが、特効薬はないですね。私は以前、経営者として社員全員が100~120%の力を出す会社を目指していましたが、ある方からお叱りを受けました。
平均的には、60%の力で働く人は全体の2~3割だと。それを5~6割にするだけでも生産性は倍に向上します。向上させるには三澤さんのおっしゃるように、できる事を少しずつやっていくしかない。6割の人が6割働けば御の字です。それだけ人間のキャパシティは大きいのです。

真野:

看護師の組織を軍隊的なものから、近代的なものに変えていく事が必要ですね。医師の下、という立場ではなく、対等な、院長にも苦言できるような立場にした方が良いでしょう。

出口:

病院に対しPFI(Private Finance Initiative)をやった経験から言いますと、経営と医療技術の分離は必要だと思います。技術者である先生方の理念を経営のプロが支えるという形が必要です。

真野:

vol3_006日本の看護師の技術的レベルは世界的にも高い方ですが、つい患者の方を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼んでしまう様に、コミュニケーションが不足している所があります。
「痛い」「苦しい」という感じ方のレベル、しきい値は実はコミュニケーションによる信頼感で大きく変わります。
新興国での、先進国の方へのサービスの問題として、サービスしようとしても、される側の考えがなかなか伝わらないという、コミュニケーションに関する問題があります。 日本人は幸い相手を思う、察知能力・おもてなし力は高いのですから、コミュニケーション力を向上させる事は可能だと思います。
また、組織の中で、チームワークで仕事をしてきた看護師の方々には潜在的なマネジメント能力があると思います。ドクターは個人的で、理念型の方が多いのに対し、看護師は組織人として教育されていますから。

出口:

確かにドクターより経営者に向いているかもしれませんね。医者が上、看護師が下という無意識な壁を取り払う必要がありますね。上下ではなく、機能の違いであって、対等な立場だという意識に変えるべきです。
経営者、ドクター、看護師の三者が上下ではなく、対等の立場で機能分担し、三者がお互いをリスペクトできるような形が理想ですね。

真野:

看護師の方が弱いのはお金(財務)の部分ですが、そこはプロがカバーすれば良いでしょう。

三澤:

vol3_007そうですね。事務局、医局、看護部、お互いを認め合っている病院はうまくいっていますね。清掃などの地味な部署も、2次感染を防ぐ観点からすれば非常に大事ですね。トップの意識を変える事が大切です。

真野:

意識についてですが、ドクター個人では、他に学ぼうとする人は多いですね。もともとドクターは吸収力がある。それが病院単位、特に公立になると、仕組みの問題があり簡単にはいかないようです。
清掃などに関して、シンガポールでは、医療のみならず清掃や食事に関するプライオリティも高いです。

出口:

病院とレストランは似ている面があると思います。いくらシェフの腕が良くても、応対が悪かったり、店内が汚ければお客は来ない。サービス産業は総合力が高くないと、顧客は満足しません。

真野:

そういう観点は必要ですね。現状では、良いドクターがいればそれで良いという感じが強い。

出口:

最近の病院ランキング本などは、現状を変えるためには良い試みだと思います。外部の評価を取り入れて行けば、健全な競争原理が働きみんなが少しずつ良くなっていきます。
患者は病を治すという事だけではなく、人間として丁寧に扱って欲しい、つまり、心地良さを求めていると思います。ここで過ごすとコンフォータブル(快適)だと思われる医療機関が生き残っていくのではないでしょうか。

三澤:

pic alignright医療は究極のサービス産業でもありますね。アメリカの医療事情についてシカゴへ視察に行きましたが、施設は各フロアごとに色分けされるなどユニバーサルデザインが徹底され、とても機能的かつ快適な環境でした。
そこにいらした日本人の看護師の方は、働く環境に満足しているので、日本に戻る意志はないとおっしゃっていました。

出口:

何ごとも一朝一夕には変わりませんから、日本も少しずつ変えていくしかないでしょう。
先ほど申し上げた通り、人間の能力は高いと思います。ほんの少しの人が目覚めるだけでも、1年経てば何かが変わります。

真野:

すでに今良くなっているところもあります。変わらない所と2極分化してきています。

三澤:

変化の必要性に気付いた医療機関が、もっと増えていけば違うと思いますが…。

真野:

医療機関の組織は縦割りの傾向が強いですからね。横が見えない。

三澤:

教育と医療業界は縦割り意識が強いと思いますが、それを横につなげてゆきたい。それだけでも変われると思います。

出口:

本当にそうですね。縦割りの組織を離れ、誰かが横串を入れるという事はとても大切なことだと思います。

■真野俊樹 プロフィール
多摩大学医療リスクマネジメントセンター教授

1987年名古屋大学医学部卒業。医師、医学博士、経済学博士、MBA。 臨床医を経て、95年9月コーネル大学医学部研究員。英国レスター大学大学院でMBA取得。その後、国立医療・病院管理研究所協力研究員、昭和大学医学部公衆衛生学(病院管理学担当)専任講師を経て、2005年6月多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授就任、その後現職。
藤田保健衛生大学医学部客員教授、国際医療福祉大学大学院客員教授、東京医療保健大学大学院客員教授などを兼任。

■出口治明 プロフィール
ライフネット生命保険株式会社 代表取締役社長

大学を卒業後、日本生命保険相互会社に入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当。生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業務の改正に東奔西走する。
ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て同社を退職。2005年より東京大学総長室アドバイザーを勤め、2006年に準備会社を設立。2008年より現職。

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